

最近の私のテーマはますます「愛と瞑想」に絞られてきています。
その起源は私の瞑想の先生から来ています。
Oshoと呼ばれるマスターがインドにいて、そのマスターが私の瞑想の大先生です。
Oshoは色々なトピックについて約30年もの間語り続け、その主軸になっているのが「瞑想」であり、「瞑想」を人々の生活の中に根付かせるために、彼の30年間の強烈なワークがありました。Osho は1990年に肉体を去り、その時まだ58歳でしたから、おそらく20代に大学の教授をしていた頃からインドを駆け巡り、後年にはアメリカでそして最終的にはOsho国際瞑想リゾート(OIMR)でと色々な場所で本当に多くの人々に語りかけてきています。
その彼の教えは全世界の人を引き付ける魅力に富み、キリスト教、スーフィーやユダヤ教、ヒンズー教、仏教、禅と、あらゆる宗教・宗派の人々に語りかけるため、すべての過去のマスターたちの教えや生き方、哲学について語り続けました。色々な語りや方策を使い、人々が意識の変容をとげるためには、「瞑想」以外の方法はないと説いていたのです。
その語禄の中でも一番シンプルに彼の言いたいことを伝えている言葉が
「Meditation is the only Medication」
「瞑想だけが唯一の薬だ」
というのがあります。
私はコースの中でよくこの言葉を使い、瞑想の大切さを生徒たちに伝えようとしますが、その意味を本当に理解できるのは、その受け取った人が本当に心から希求した時においてのみなのだと思います。私自身、瞑想の大切さは良く分かっていても、その内容が心から腑に落ち、そういう生き方(実体験中)が始まるまで(まだ完成されてない)に随分と時間がかかったのです。
しかし、現代(西暦2008年)に生きる私たちにはあまり時間が残されていないのかも知れないということにも、目を向けて欲しいと思います。資源の使い果たし、森林の減少、希少動物の絶滅、地球温暖化と汚染、海面の上昇、未だに無くならない戦争など、例をあげたらきりがないほど問題は増える一方です。だからと言って、私たちには何もできる術がないというのが一般的な見解で、「仕方ない」の一言の中にすべてが葬り去られてしまいます。
「本当にそうでしょうか?」
本当に一個人には何もできないのでしょうか?
そんな無責任な態度をとっている場合でしょうか?
私はそうは思いません。私だって一個人、でも、なんとか自分ができることをできる範囲でして行こうと思うから、オーラ・ソーマを通して瞑想をお伝えする、この仕事もしていますし、自分の周りから*毒物や多くのゴミを出さないというようなごく身近で簡単にできることも、できる限りしています。
(*毒物についてここで少し解説しますが、ベトナム戦争で枯葉作戦のために使われたダイオキシンが猛毒であることはご存知でしょう。そして、日本は世界一のダイオキシン生産国であり、その内70%は家庭排水から出されていることはあまり知られていないと思います。それらは皆さんが知らずに使っているシャンプーや中性洗剤など、家庭で使われている洗剤類から出ているのです。そして、それらの洗剤類は発がん性物質であり、毎日使うことで体内に蓄積され続けるのです。)
そんな小さなことが地球を綺麗にし、元の姿に戻す助けの一環になります。
環境問題を語るより、自分のできることから始める、そういうところから意識の芽生えが起こり始めます。そして、瞑想のやり方を覚え、日々の瞑想を重ねていくことで意識はより一層磨かれて行きます。魂(たま)は磨けば光る。その磨き方のヒントをお伝えするのが私の仕事です。
Oshoは「愛と瞑想」は一枚のコインの裏表だと語りました。
瞑想だけではドライですし、愛だけでは自分がないということになってしまいます。つまり、瞑想はひとりになる (自分に帰る・内に入る) ための練習ですし、愛は一緒にいる(他者とともにある・対象は外にある)ための練習です。それを意識的に気づきとともに行うことが瞑想の基盤になると思います。この両方が両立していないと、面白くない。瞑想だけだったら、お坊さんみたいなことするの?つまらないって人は言います。愛だけだったら、いつも誰かに意識を向けていて自分の中は空っぽで、これもいつか疲れ果ててしまいます。
それならどうすればいいのでしょうか?
「愛と瞑想」が一枚のコインの裏表であることを認識して生きることを始めないとつまらないのです。
これは「タントラ」のワークの中に多く秘められている学びだと言えます。インドのシバ神が彼の伴侶のパルバティに5000年ほど昔に説いた112の瞑想法がビギヤンバイラブタントラという本の中に残されています。その教えをOshoが現代人のために分かりやすく解説した同名の本があります。この本はまさに「愛と瞑想」を統合するために書かれたものだと言っても多言ではないでしょう。「愛」を女性性に、「瞑想」を男性性にたとえることもできるでしょう。つまり、女性性と男性性の統合という学びも「愛と瞑想」という言語の中には含まれていると言えます。
去年から私たちはタントラ瞑想のワークもメニューに加えました。
それはそのワークがある意味(私にとって)究極のワークではないかと、自分が一番興味を持てるワークじゃないかと思ったからです。そして、日本人にとても必要なワークでもあると思ったからです。そして、そのテーマはまさに「愛と瞑想」。「愛」し合うことを通して、ひとりで在れること「瞑想」を学ぶ。愛しながら瞑想する。それがタントラです。
始めはパートナーと一緒に瞑想し、そして、何れはひとり(女性性と男性性の統合された)に回帰する、ひとりで在れることを楽しむ人に帰るのです。一緒にいることとひとりで在れることが同時に自在にそこにある。
タントラは全てが無理のない自然な状態の中で行われなければなりません。
ある意味、生活すべてがタントラと言えます。衣食住のすべてに自然なリズムを取り戻すことなのです。食べる時には100%その食べるという行為に集中する。すべての食べ物の食感、味わい、温度などに集中して楽しんで味わって食べる。食べることだけでなく、すべての行為に全身全霊で、一期一会の思いで関わることなのです。
「愛と瞑想」 今年の秋はタントラを本格的に学んで行きましょう。
今秋のタントラはパワフルですよ。2008年秋から2009年秋にかけ、引き続き続々とOIMRからたくさんの大御所の先生たちが色々な形で違った瞑想の体験をもたらしに来てくれます。その顔ぶれは物凄い!どのコースも見逃せないので、皆さん、今から自己投資のため貯金しといてくださいね!!!
私もものすごく楽しみにしています。本当にどれも見逃せない。私は自分が参加したいから呼んでいる先生方なので、ちょっと外せないですよね。
では、多くの皆さんのお顔が拝見できますよう、お祈りしています。
アムステルダムより愛を込めて… 2008.06.12(木)
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